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(0612昼補足)続・ピタゴラス律に対する「素朴な疑問」 [基礎知識(基礎理論)]

 前回記事の最後では、
>次回は、「同じイオニア旋法フレット(位置)としつつ、弦を2本(以上)に増やした場合はどうなるのか?」等の視点で書いてみたいと思います。
 と予告したのですが、
 その前提として、ピタゴラス律のような所謂「積み上げ」調律の不自然さ等を論じておく必要があると思われますので、それを書きます。

 旧ブログの下記URLで『ピタゴラス律に対する「素朴な疑問」』なる記事を書いたのですが、
http://meantone.blog.so-net.ne.jp/2013-05-23
以下はその続編になります。

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 一般大衆向けの音律関係書籍では、ピタゴラス律の「原初」的性質、この音律は極めて容易に調律することができること、その結果ヨナ抜きの5音音階(ドレミソラ)ができること、等を説明するために、いきなり「多数の弦が張ってある楽器」を使って説明してますよね。

 例: 開放弦同士を「純正5度調弦」してピタゴラス音律を作る。その際に適宜「オクターブ調整」して音階を作って行く。これによりペンタトニックの5音音階(ドレミソラ)ができる。

 で、音律を勉強すればするほど、このような説明が「凄く不自然」で「嘘っぽく」感じてしまうのですが、これって私だけなのでしょうかね(汗)。

 つまり、ピタゴラス律に対する素朴な疑問「追加(笑)その1」として、最初(原初)から「沢山の弦を張る楽器があった」、言い換えると「弦楽器は、その発祥時から沢山の弦が張られていた」とは考えにくいんですよ。弦楽器の原初形態は1本の弦(単弦)が張られていた(百歩譲っても2本でしょ?)とする方が圧倒的に「自然」な考え方だと思えるのです。

 例えば、「管」楽器は、その原初的な形態は、例えばナチュラルホルンの如く指孔が無かった(息の吹き加減でのみ音程調節をしていた)が、その後、音程調整のため指孔が設けられるようになり、音楽社会の成熟につれて徐々に指孔が増えて行った、ってことに異論はないですよね。
 これと同様に、「弦楽器は、その原初的な形態では1本だけ弦が張られており、音楽社会の成熟につれて徐々に弦の数が増えていった」とするのが「すこぶる自然」な考え方ではないだろうか?・・・って思っちゃうんですけど、私、何か変ですかね?(汗)

 「1本だけ」という箇所に違和感があるって仰るのなら、「2本」でも「3本」でも良いですよ。1000歩、いや100万歩(笑)譲って、Vn属やウクレレのように「4本」だったと仮定しても良いですよ。
 重要なのは、このような少ない弦の楽器から、ピタゴラス音階(特に上記5音音階)が出来るのでしょうか? 純正5度連鎖の音階を「発明・発見」することができるのでしょうか? ってことです。

 弦楽器の原初的な形態が
 「弦1本」の場合、どうでしょう? 主音(開放音)の音程を維持したまま違う音程を出すためには、フレットを付ける、琴のように支柱で、或いは指で直接押さえるなどして、「弦の長さを変える」必要がありますが、このときに、「オクターブ調整」なんて操作ができるのでしょうか?
  「弦2本」の場合、純正5度(ドソ)調弦にたどり着いたとにしても、それより先の「純正5度連鎖」によるレ⇒ラ⇒ミ⇒シを「発明・発見」することができるのでしょうか?
 「弦3本」、「弦4本」の場合でも、依然として、ペンタトニック5音音階の「ミ」は出来ませんよね。

 さらには、弦楽器の弦の増えていった歴史が、「純正5度の積み重ねによる調律(まずは5音階)を実現するために」5本以上に増えていったと仮定しても、ピタゴラス長3度(ミ)の81/64などという、主音(ド)と協和しない複雑な比率が採用され得るのでしょうか? 大抵の人は、ピタゴラス長3度(ミ)の音程に調律する「途中」で、「主音と協和する極めて美しい音程がある」ことに『気付く』のが普通ではないでしょうか? だって、純正長3度のミの音程(5/4=1.25)は、ピタゴラス長3度の81/64(=1.265625)よりも僅かに『低い』音程なのですから。『高い』音程であれば発見が困難だった等もあり得ますが、実際は『低い』のですよ。基音のド弦よりも高く調弦される3度上のミ弦の方が「音程が下がりやすい」でしょうから、演奏している最中に3度音程が純正に近づいて行くことだってあり得るわけです。(してみると、鍵盤楽器の調律で良く言われている説明、すなわち「ピタゴラス5度を12音分連鎖させて出来る、-24セント狭い5度の存在により、純正長3度が発見された」かのように印象づける説明も、非常に散臭いと感じてしまう訳です。)

 このように考えてみると、ピタゴラスの音律が「原初的」である、「自然」である等を印象付けようとする「説」には、何かしらの「無理」、「不合理」、「不自然」、「胡散臭さ」等を感じてしまうのです。

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(0612昼補足)
 このブログを読みに来られるレベルの方なら御存じだと思うのですが、西洋音楽史では、ピタゴラス律は、「積み上げ」すなわち♯系(5度圏右周り)方向、長調系でなく、むしろ♭系(5度圏左周り)方向すなわち「(いわば)積み下げ」、短調系で積極的に活用されて来た訳ですよね。それは、前回記事でも補足したように、
藤枝氏作成による古代ギリシャの3つの旋法.jpg
 既に、古代ギリシャ時代から(!!)そのような流れが出来ていると考えられます(上から2番目の音律では基音に対して32/27のピタゴラス短3度が採用されている。ちなみに、このリストに載っている30種類の音律に関し、基音に対して81/64のピタゴラス長3度を使っているのは、(私のチェック間違いがなければ)「インドの22律」だけです。(但し、ピタゴラス(P)短3度を使う音律の場合、純正5度-P短3度=P長3度ですので、いわゆる「裏の音程」として使われ(得)ることになります。))
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旧ブログの下記URLで『空想小説「はじめに1本の弦ありき」』なるものを書いたのですが、
http://meantone.blog.so-net.ne.jp/2011-10-25 
 こういった発展形態ならば納得できるんですよ。

この小説の最後では、単弦のフレット楽器に関し、
>そのうちに、人は「一人で奏でるときも、大勢で演奏するのと同じような幸せな気持ちになれれば良いのになぁ」と思うようになった。そして人は考えた。「一つの楽器に張る弦の数を増やせば、もっと幸せになれるに違いない」と。

 と考えたところで終わってます。ですので、次の記事は謂わば、この空想小説の続編とも言える訳です。
(続く)


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